❏勉強不足・経験不足が引き起こす中途半端

創業組と中途組の決定的な大きな差は、世間を知っているかどうかによる部分が大きかったかもしれません。僕を含めた創業メンバーは、同業以外のサラリーマン経験は少なく、標準がどこにあるかということに、とても疎かったと思いますし、それは今もなお抱えている問題でもあります。スケールアップしていく集団にはどうしても効率化は避けては通れないと思います。

果てなき成長に向かうための、”確かな方向性”、”確固たる計画”、”上層部の不足スキル習得”、”最適な人事評価制度”と前述しておりますが、創業時の延長線上に立てた実現可能な計画を全体会議で共有し、その後、理念とビジョンを手探りで作成していきました。しかし計画は具体的というより一方的であり、理念体系も、果てなき成長というよりは、自己満足に近いものだったと思います。

そういう、中途半端な計画と方向性もさることながら、次に上層部として自分の計画のサポートを期待する人たちの必修スキルの不足にも半端にメスを入れていきました。それまでの個人主義体制を尊重しつつ、どうにか効率化させるための足掛かりとして、データベース共有および社内伝達ツールを導入し、それらの活用の中で違和感を指摘していこうという作業に入っていきました。

創業時に心通いあっていた仲間たちも、拠点数が増えていく中で、顔を合わせる機会も少なくなり、どこかで意思疎通がしにくくなっていたと思います。それをなんとかデジタルツールで意思疎通を活性化させようとしたのですが、フェイストゥフェイスではないデジタルな環境下での叱咤激励は、時に顔が見えない分、無機質で冷たいものとしてお互いに伝達されていったかもしれません。


❏自分の意志の弱さが引き起こした悲劇

そんな中、創業メンバーの脱退が起こります。右腕ともいえる人でしたので、彼には彼の考えや人生観があるわけですが、彼の離脱は大きな衝撃でした。社内にも波紋を残す形となりましたが、振り返ってみても、自分自身が同じような形で創業していったわけですから、彼だけをとがめる理由がどこにも見当たりませんでした。何より自分の器に呆然とした瞬間でした。

そして僕は自分の決断を疑うことになって行くわけです。仲良しクラブではなく、果てなき成長への挑戦に魅せられてしまったことで、集団から組織へと成長させなければいけないという使命感が、浅い計画のスケジュール感から、論理を超えて精神論で功を焦り、離脱していく彼らを含めた部下たちに、負荷をかけすぎていたのだと、今時点では理解できるようにはなっています。

計画に重大な支障が出てしまったわけですが、このまま下方修正だけで引き下がれないと考え、強気に計画を推し進めていきます。ところが、現実世界では突拍子もない誘いや、過去の人生でお世話になった方への恩返しのタイミングなど、思いがけないタイミングで発生してくるわけですが、悪いタイミングだったのかもしれません。また自分の意志の弱さも過失に拍車を掛けたりします。

こうなってくると、計画推進を信じ続けてくれていた仲間の中にも、僕の判断に違和感を感じるものが出始めたりするものだと思います。ほとんど負けを知らないまま、破竹の快進撃を続けた集団は、驚くほど想定外に弱く、再現性の乏しい悲観論が蔓延してしまっていたような気がします。一度掛け違えたボタンを元に戻すには、耐えがたきを耐える精神力と、論理的説明責任を果たす必要がありました。


❏自分の信念と残った財産

大勢の離脱者を出しながら、僕はやっぱり自分の成し遂げたい果てなき成長への道を選択するほかありませんでした。その状態で信じれるのは最後には自分であり、その自分を信じてついて来てくれる仲間がたとえ少数でもいてくれるのであれば、きっとどんな焼け野原からでも再出発できると心の中で何度も言い聞かせていたと思います。

幸いなことに、残ってくれたメンバーたちと再出発を誓い、これまでに立てた半端な計画、半端な理念、半端な教育体制、半端な評価制度を根底から立て直していくために、WEBマーケ以来さぼり続けた勉強に、改めて着手していくようになります。チームビルディングや組織に関する参考資料を読みふけり、いろんな人に会って話を聞き、果てなき成長へのビジョンを模索しました。

そんな中で一番自分に欠けていたものは何かを見つめなおしてみたところ、どうも果てなき成長への挑戦という考えを同世代のライバル経営者から魅せられていくうちに、素直に人に頼ったり、心を開いて人の話を聞き入れるということが、無意識でできなくなっていたということでした。そんなある日、郷里の友人で中小向け経営コンサルタントである友人に、救いを求めて相談しに行くことにしました。

彼に頼ったことで、孤独のふちを彷徨っていたことから一気に解放され、正解がない世の中で生き抜いていくということを本質的に考えさせられました。とにかく学ぶことを止めず、進む先を見定めていくことの重要性、現在不足しているものが何かを知るということの重要性に気づいていきました。彼は経験の中から、問題点を数多く指摘してくれました。

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松田