2/13.14と深夜まで運営幹部を集めて勉強会をしていました。論理的思考っていうけどそもそもどういう使い方があるのかとか、自分たちの自覚のレベルはどのへんなのかとか。そういうちょっとした気づきの連続から、自覚が芽生えて、そのなかで向上心の強い人ほど、自分の壁を作らずスキルとして習得していくものだなとつくづく思います。

しかし不思議なもので、いろんな特性を持った人がいて、これらの人が特徴をもったパターンで行動しているのがよくわかります。思考とは中断すると簡単にわかってしまうものだそうで、集中した状態では瞳孔が開き、集中が途切れた状態では瞳孔は閉じてしまうそうです。つまり、人間は体が嘘を付けないようにできているようです。(ダニエル・カーネマン著”ファスト&スロー”より) 
著者ダニエル・カーネマンは、人間の意思決定論を専門にする認知心理学者だが、プロスペクト理論の創始者であり、行動経済学の先駆者&代表的な学者としてノーベル経済学賞を受賞している

瞳孔の確認まではできませんが、あからさまに注意力が散漫になったり、落ち着きがない動作になるのは当然ながら、質問のやり取りなどでは、明確に”投げやり”で、論証の乏しい答えが返ってきます。これはつまり、脳で考えるのを中断していることへの自覚はあるが、相手にばれていないと思い込み、思考を止めたということの無自覚なサインであるとわかります。

大切なのは、明確な回答を避けている状態とは、まさに思考中断している状態であり、それが習慣化している人は、他人に気づかれていないと思い込んでいるのですが、洞察力の高い人には、意図的に脳の働きを中断した(放棄した)ことを察知されてしまうと思うんです。そして、この手のタイプの人ほど、集団における危険な人物であると言えると思います。

”無能で勤勉なのは、組織の最大の弊害”(ドイツ軍・フォン・マンシュタイン元帥のマトリックス引用)と言われるように、上層部の指令をそのまま受諾し、自分の思考を停止したまま行動に移すタイプは、想定外に弱く、また極めて再現性が低いと言えます。つまり勤勉というおもて面で、思考停止(無能)を隠している人物は非常に危険な人物であると言えると思います。

見えてないと思う部分を隠す習慣があるわけですから、勤勉であるのは実は表面的であり、そうなってくと、習慣的に緊急を要する問題を隠ぺいしたり、もっといえば思考を停止してしまう訳ですから、精神論のみで一向に解決しないサイクルを迷走し、部下がいればそのチームごと士気の低下を引き起こしてしまいます。何より解決への思考を中断するというのは、潜在意識が”消極的”となりますよね。

大日本帝国軍はなぜ米軍に負けたのか、太平洋戦争での日米の優勢を決めるターニングポイントにおいて、日本軍はいくつものミスを塗り重ねていくそうです。それらは驕りや慢心からくる思考停止が組織に蔓延した結果でもあったようです。(鈴木博毅 著「超」入門 失敗の本質より)戦争に例えるのは異論反論あるやもしれませんが、国家という巨大組織として、勝敗を分けた対照的な組織の話です。

どのようなとき人は思考を止めるのか、どうすれば思考を止めずにいられるのか。考えるという目に見えない動作が大小さまざまな局面の明暗を分けてしまうのは事実のようです。そして人は、本能的に考えるということを”さぼり”たがるのもまた事実だと思います。

ただ、他人の命を背負う立場にいる人たちだけは、できうる限り思考を止めない人であってほしいなと思うようになってきた今日この頃です。

松田