みなさんこんにちわ。今日もポチっと⇒人気ブログランキングへ
押しても何ももらえませんが・・・(笑)
心にゆとりのあるときにでも押してみてください。

では、今日のはなしです。

僕は時々たとえ話をします。
このブログでもたとえ話をします。「休まないウサギ 」
たとえばなしといえば童話や寓話があります。

寓話とは比喩によって人間の生活に馴染みの深いできごとを見せ、諭す事を意図した物語です。
名無しの登場者は、動物、静物、自然現象など様々ですが、必ず擬人化されています。
この寓話というのが厄介で、そのように考える事が「自然だよ、正しいよ」と促す寓意(※)を含みます。

寓意とはある意味を、直接には表さず、別の物事に託して表すこと。また、その意味。「―を含んだ絵」 

例えばアリとキリギリスはアリのように地道に働く事を美談として描いています。
がこれは上流階級、特権階級からみて都合のよい教育をする為の寓意を含んでいるとも言えます。
いい悪いの判断は必ず本人に委ねられる必要があり、ましてキリギリスを悪だと断定はできません。

僕のウサギとカメの話しではありませんが、カメに敬意を払う前に見直すべきところはあると思います。
つまり童話や寓話に出てくるお話しの中にある寓意を見てとらなければいけないと思います。
たとえ話を聞いた時にそれをどう受け止めるのかは本人たちの中にあると思うのです。

いいお話しを聞いて来たからと社員に共有しようとすると社員は寓意を感じる時があるはずです。
寓意とはつまり扇動の要素も含んでいるわけですから、居心地が悪くなる時もあります。
それよりも寓話をどう捉えどう考えたかを社員に伝える方が良いような気がします。

寓話は一面的な者の捉え方をしている場合が多いので、より多面的に捉える習慣を共有したい。
だからたとえ話は寓意を持って話すときに使うのではなく、識字力の壁を超えるために使う方がいい。
難しい話を簡単に分かり易く説明する時にたとえ話は効果があるような気がします。

日本の教育の中に見え隠れする従順な国民を教育しようとする寓意は道徳の時間に教わりました。
全然嫌じゃなかったしいい話もたくさんあったけれど、より深く考える習慣を身につける方が大事です。
現実はより厳しく、困難を伴うわけですから、やり方よりも考え方を教えるべきですよね。

お子さんをお持ちの方も経営者の方も、中間管理職の方も、ご自身の寓意を見抜かれないように。
寓意を捨てて、寓意を見抜ける思考法をお子さんや部下に教育できれば素敵だと思います。
答えはいつも一つじゃないし、受けた教育には成果を感じなければ感謝できないですし。

キリギリスだからこそ発見できるアイデアを僕はしっかり知ってますから。
答えは人生をかけて見つけるもんだから。

松田